なぜ土地の所有者なのに、地代を上げるのも一苦労なのか?
借地人は半永久的に土地を利用出来るのに、地主は半永久的に土地を自己利用できない。
地代の額だって、土地の賃貸借契約が始まった当初と比べ、今では経済が発展、物価も土地の価格も上昇しているはず。
それなのに関わらず、地代の値上げも一苦労。
借地人との合意が得れない限り柔軟に改定することすら出来ない。
「出て行ってくれ」と言いたくても借地人には契約を更新する権利が法律により守られている。
このように、現代の底地権者の力が弱まった元凶とは一体全体何が原因なのでしょうか?
今回はこの真相を探るべく底地権と借地権に関する歴史について触れてまいります!
INDEX
江戸時代(1603年~1868年)
地主の力が圧倒的に強かった時代です。
土地は地主のものであり、そこに誰かを住まわせてあげるという意識が強かったからですね。
そのため、借り手の権利はかなり弱く、地主が土地から出ていってくれと言った場合、他に選択肢はほぼない状態でした。
この時代までに、土地の貸し借りはかなり幅広い範囲で行われていたんですね。
地主が土地を貸して、そこにお店や住居を建てて、住んだり商売をしたりすることは、特に人口が密集していた城下町では一般的でした。
もちろん、地主自身が自分の土地に建てて貸すことが多かったですが、中には土地を借りるだけで、そこに建物を建てて使うという人も増えてきたんですね。
また、農地についても古くから賃貸借が行われていましたね。 その一つの形態が小作というものです。
普通の農民は自分で土地を所有し、その土地を耕して耕作物という利益を上げていました。
しかし、困窮した農民は土地を売るしか選択肢がないこともありました。
耕作する土地がなければ全く収入の当てがなくなりますので、土地を買い上げた地主はそれを貸し付けて、上がってくる利益を賃料として徴収していたわけですね。
金銭での賃料徴収ではありませんが、ここにもやはり土地の賃貸借という観念が見て取れますね。
しかし、全体的に見て、地主の権力が非常に強く借地人はそれに従うしかなかったという関係が続いていたと言えます。
明治時代(1868年1月25日~1912年7月30日)
その中には、不動産や地主、借地人に関係する権利についての法律も含まれています。
その一つが明治29年に制定された民法ですね。
この民法では土地所有に関する条項がいくつか含まれていますが、特に注目すべきなのが「所有権絶対の原則」ですね。
所有権が他の権利に優先される、つまり借地人の権利よりも地主の権利の方が圧倒的に強いということですね。
江戸時代まで引き継がれていた考え方が法律によって再確認されたとも言えます。
しかし、明治42年になると建物保護に関する法律が制定され、ここで借地人の権利が保護されることになりました。
現在の借地権に比べるとまだまだ緩い権利ではありますが、ある程度地主の権利が制限されて、いわゆる弱者でもある借地人を守る動きが強くなっていったことが伺えますね。
大正時代(1912年7月30日~1926年12月25日)
これにより、さらに借地権の保護の考えが強まったんですね。
明確に借地権そのものについての定義や借地人と地主との関係性が示されてきたのが、大正時代の特徴と言えます。
元々、地主は経済的にも社会的な立場という意味でも強く、借地人は社会的に不利な状況にありました。
そこで、弱者保護の観点から、借地権を明確にすると同時に、地主の不当な請求を拒否できるような権利を与えることが始まってきたんですね。
昭和時代(1926年12月25日~1989年1月7日)
この改正における大きなポイントは、正当事由があった場合に借地権を保護するというものですね。
地主からの様々な請求に対して、明確で客観的な理由があれば借地人がそれを拒否できる、ということが明確になり、その範囲も広がっていきます。
これにより、地主が自分の都合で不当な請求をするのが難しくなります。
それに加えて、たとえ地主が正当な理由で何らかの要求をしたとしても、借地人の方にも拒否するだけの理由があれば、借地人の拒否する権利の方が強いということが明確になったんですね。
少なくても一定の条件においては、借地権の方が強いという変化が見られるようになってきて、現在の力関係に近い形が見えるようになってきていますね。
そして、昭和41年になると「借地非訟」の手続きが制度化されました。
これは借地権の歴史の中ではとても大きな節目と言えますね。
借地非訟とは、借地人が借地権を他人に譲渡したい、建物の建て替えをしたいという時に、地主が承諾しないケースに行われる手続きのことですね。
地主が許可をしなかった場合、借地人は裁判所に申し立てることができます。
そして、双方の意見を聴いた上で借地人の申し立てが正当であれば、裁判所が承諾を与えることになるんですね。
この制度によって、借地人はたとえ地主が拒否したとしても裁判所に申し立てることによって、承諾を得られるという強い後ろ盾を得られるようになりました。
平成時代(1989年1月8日~2019年4月30日)
その背景には、地主は資産家で社会的にも強いという事情があったからです。
しかし、時代と共にこの方程式は成り立たなくなってきたんですね。
地主であっても資金に困る人が多く出てきましたし、逆に借地人として土地を利用する人の中には大企業などの、強い経済力と社会的立場を持つ法人が出てくるようにもなってきました。
そこで、今度は強くなり過ぎた借地権を制限し、地主を保護することによってバランスを取る動きが見られるようになります。
この一つの動きが平成4年に制定された、よく「新法」と呼ばれる借地借家法ですね。
定期借地権を作り借地権を細分化しています。
また、地主側の正当事由を明確にして、地主の請求を通しやすくしているんですね。
こうして、借地権と底地権のバランスを取り戻すようにしたと言えますね。
まとめ
地主と借地人の立場は、歴史によって変わってきました。
上述の通り、借地法の改正により、借地人に契約を更新する権利が与えられたことが、地主の力が弱くなった一番の元凶となります。
重複しますが、明治42年(1909年)に制定された建物保護法以前は、民法による所有権絶対の原則により、債権である借地権はとても弱いものでした。
しかし建物保護法により、所有する建物を登記すれば第三者に借地権が主張できるようになった。
その後、関東大震災や戦争などの時代の背景によって、そして様々な法改正を経て、昭和16年(1941年)の借地法の改正により、正当事由、法定更新制度が制定されたことで、地主にとっては皮肉なことに貸したら返ってこない借地権が誕生してしまった。
また、あまり知られていませんが、新法の施行の背景には、バブルによる地価上昇により住宅を買えない人が増えるのではとの予測もありましたので、リーズナブルな価格で購入できる定期借地権付き住宅を普及させることで多くの人に不動産を所有してもらおうとの経済的な意図もあったようです。
しかし、これまた皮肉なことに、法律家がさんざん頭を悩ませて新法をやっとこさ施行できた時期には既にバブルは崩壊していました。
現在、世に存在している借地権は、旧法の時代に成立したもの。
旧法の時代に成立した借地権は、新法の適用がないため、まだまだ地主にとっては、悩ましい時代が続きます。
しかし、借地を買い戻し所有権化することで、その価値を取り戻すことが可能な場合もありますし、新法が施行されたお陰で定期借地権を利用した土地の有効活用も盛んに行われるようになりました。
まだまだチャンスはたくさんあるものです。
また追ってコンテンツに致します。
最後までお読みいただき誠に有難うございました。
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